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2011年2月 6日 (日)

指揮者・山田一雄先生の想い出

私は京都大学へ通っていた当時、京都市左京区の岡崎に住んでいた。平安神宮は目と鼻の先であり、白川通りを渡って、しばらく歩けば、南禅寺界隈へと突き当たる。谷崎潤一郎先生が名作「細雪」を執筆した「前の潺湲亭」は、南禅寺下河原町にあった。今では現存しない代わりに、さらに北へ向かって哲学の道に上がれば、それを入った東山の際に、谷崎先生が眠る法然院がある。夏の猛暑日には、よく本を持って行って法然院の境内で涼んだものだ。

岡崎には京都市美術館や国立近代美術館などとともに、疎水に沿って京都会館がある。いわば観光地の真ん中に下宿していたわけだが、京都会館にあった大ホールが、当時における京都市交響楽団の定期演奏会場となっていた。
京都市交響楽団は日本で唯一の自治体直営オーケストラだったようだ。

山田一雄先生は、1972年から1976年まで、京響の第6代常任指揮者だった。ちなみに、第4代常任指揮者が外山雄三先生、第5代常任指揮者が渡邉暁雄先生だった。

退任後も、若杉弘先生らとともに、よく京響の定演を振っておられたと記憶している。

山田先生の映像作品として、残念なことに京響とのものは知らないのだが、晩年にN響を振ったモーツアルトのジュピターが残っている。重めの演奏が主流の時代だったが、テンポを速めにとって音を短めに刻む山田先生の指揮から紡ぎ出される音楽は、とても生き生きとして、躍動感にあふれていた。モーツアルトには、そうした躍動感が不可欠なのである。

そのためなのか、画面を見るとN響の弦は盛大にビブラートを掛けているのだが、音だけ聴いていてると全く気にならない。むしろ出てくる音は、現在主流のピリオド系と通じるかのような透明感のあるものだった。

山田先生は白髪で、せわしないというか、時折指揮台上で飛び跳ねたり、体全体を使った個性的な指揮だったが、そうした指揮振りが目立つ半面、その音作りは誠実そのものだった。コーダのフーガが天井へと吸い込まれるように、曲が終わった直後のお顔は、むしろ精根尽き果てたかのような表情だ。

あの指揮振りは、お世辞にも格好がよいものとはいえなくても、何とかオケに自分が望む音を伝えるための、先生なりの必死の動作だったのではないか。

日本人の中にも格好を付けた流麗な指揮者が増えてきた現在、山田先生が生きておられたら、そういう若い指揮者を見て、どのようにおっしゃるだろうか。

もうそろそろ、我が国で山田先生の音楽が見直されてもいいはずである。

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コメント

私は、在学中に山田先生に師事しました。
当時の芸大系巨匠渡邉先生も当時教授だった遠藤先生も助教授だった佐藤先生ものちに芸術センター長になられた若杉先生も、芸大指揮科の先生はみなさん逝去されてしまいました。残念でなりません。
山田先生には思い出がありすぎて書ききれません。
厳しい先生でレッスン中灰皿が何度飛んできたことか・・・
でも、もっと残念なのは、今、学生たちに山田先生の話をしても、彼らにとっては全く知らない人なんですよね。
たとえば、マーラーを指揮していて、舞台から落ちてしまい、胸のポケットから白いチーフを取出し指揮し続けたなんてエピソードも「指揮法が出来てないんじゃない」の言葉で一蹴されてしまう。
僕たち弟子は、山田先生をこよなく愛し続けています。
山田先生への会話ができる日が来るといいなって思います。

投稿: Ilovekeiko | 2011年2月 9日 (水) 08時32分

Ilovekeikoさん

たいへんお心のこもったコメント、有り難うございました。

ご指摘の指揮台転落は、かの有名なレオノーレ3番事件だけではなかったのですね。
それにしても、「今、学生たちに山田先生の話をしても、彼らにとっては全く知らない人」とは残念です。

私は本文に書いたとおり、京都会館が近かったこともあり、70年代に先生の指揮に接することができました。

ところで最近、ユーチューブで山田先生がN響を振られたジュピターを見ることができることが分かりました(著作権法では見るだけであれば適法です)。

http://www.youtube.com/view_play_list?p=D1A6A8E8A9978C59

付けられているコメントの中には失礼なものもありますが、英語のコメントの中には正当に「音」を評価しているものも少なくなく、嬉しく思いました。

私は音楽の素人ではありますが、学生時代の想い出とも重なり、矢も楯もたまらず書いた次第です。もっと多くの人に、山田先生を知ってもらいたいと思いますので、またいろいろ教えてください。

投稿: 岡村久道 | 2011年2月 9日 (水) 09時38分

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