イカタコウイルス事件-東京地判平成23年7月20日
東京地判平成23年7月20日は、「イカタコウイルス」と呼ばれるコンピューターウイルスを作成してインターネット上に流し、これを感染させて他人のパソコン内のデータを使えなくしたとして器物損壊罪の成立を認めた。このウイルスに感染すると、パソコン内の文書や写真など保存データの一切を魚介類のイラストに変換してしまう。
本件で成立が認められた器物損壊罪は次のような規定である。
(器物損壊等)
刑法第二百六十一条 前三条に規定するもののほか、他人の物を損壊し、又は傷害した者は、三年以下の懲役又は三十万円以下の罰金若しくは科料に処する。
ここに「物」とは有体物をいう。したがって、媒体ごと壊した場合には、媒体という有体物が壊れたのだから器物損壊罪が成立する。これに対し、データそれ自体のような無体物は含まない。したがって、媒体は壊すことなく、データそれ自体を壊した場合である。
この点は、次の規定が別途定められていることにも示されている。換言すると、データそれ自体を壊しても、器物損壊罪に該当しないことから、別途、定められたものである。しかも、客体が限定されていることに注意すべきである。
(公用文書等毀棄)
第二百五十八条 公務所の用に供する文書又は電磁的記録を毀棄した者は、三月以上七年以下の懲役に処する。
(私用文書等毀棄)
第二百五十九条 権利又は義務に関する他人の文書又は電磁的記録を毀棄した者は、五年以下の懲役に処する。
ここに電磁的記録とは、媒体に入れられたものが予定されている。換言すると、媒体を壊すかどうかに関係なく、データそれ自体を壊した場合に適用されるべき条項なのである。
電子計算機損壊等業務妨害罪という規定もある。次のものである。
(電子計算機損壊等業務妨害)
第二百三十四条の二 人の業務に使用する電子計算機若しくはその用に供する電磁的記録を損壊し、若しくは人の業務に使用する電子計算機に虚偽の情報若しくは不正な指令を与え、又はその他の方法により、電子計算機に使用目的に沿うべき動作をさせず、又は使用目的に反する動作をさせて、人の業務を妨害した者は、五年以下の懲役又は百万円以下の罰金に処する。
ここでは方法は「その他の方法」としており、限定が付けられていないから、ウイルス感染でも良い。「電子計算機に使用目的に沿うべき動作をさせず、又は使用目的に反する動作をさせ」ることで足りるから、コンピュータが物理的に損壊される必要もない。他方では、業務妨害が要件となる。但し、そのおそれで足りると解釈されている。
器物損壊罪の話に戻る。器物損壊罪にいう損壊とは、客体である有体物の効用を喪失させることを意味する。物の物理的損壊が典型例であるが、それに限られず、徳利に放尿した行為をもって、器物損壊に該当するとした判例がある。この判例には、損壊が物理的損壊に限らないことが示されている。徳利は酒という飲料を入れるものだから、小便がかけられてしまえば、事後に念入りに洗ったところで、社会通念上、再度それを徳利として使用することは、通常の神経であれば不可能である。したがって、効用を喪失させ、本条の損壊に該当するということができる。
これと本件とを同視できるか。イカタコウイルスに感染したパソコンは、対策ソフトで除去することができる。後はバックアップデータを書き戻せば、元通り使用することができる。バックアップの有無にかかわらず、電磁的記録毀棄罪、もしくは電子計算器損壊等業務妨害罪の対象となりうるが、前者では客体が限定されており、後者では業務妨害のおそれが、別途、要件となる。換言すれば、その限度で保護されることが必要十分であると、立法者は判断したのである。
それを器物損壊罪で処罰することを認める今回の判決は、いわば立法者意思をオーバーライドしたものであり、換言すれば、解釈として妥当でないものと思われる。
ちなみに、本判決は「物理的に壊していなくても、物の機能を害していれば原状回復の難しさによっては損壊にあたる場合がある」との基準を示している。しかし、「物の機能を害していれば」という箇所が曲者である。もう一度いうが、本件で害されたのはデータそれ自体であり、物の機能が害されたわけではない。
本判決は、「データの復元が容易とは到底いえず、データを読み出し、新たに書き込むというハードディスクの本質的機能が害された」と指摘したと報道されているが、この文章の前半と後半と連続性がない。前半は本件データのこと、後半はハードディスクとして動作するかということだからである。ウイルスをソフトで除去すれば、なんの支障もなくハードディスクに「データを読み出し、新たに書き込む」ことができる。
いわゆるウイルス作成等の罪が立法化されるまでには起訴する規定がなく、捜査機関としては困ったのだろう。しかし、前記立法化が完了したことによって、こうした無理な起訴も不必要となり、これを無罪にしても、同種行為を放任することにもならない。
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