料理マンガにおける写真トレースと著作権法
集英社の料理マンガに掲載されたシーンが、他人が撮影した料理等の写真をトレースしていたとして問題となり、このマンガは連載中断に追い込まれた。
ネット上では、これが著作権侵害に該当するか、多様な意見が飛び交い、混乱を深めている。
著作権法では、写真は、10条1項8号にいう「写真の著作物」として保護されうる。
しかし、そのためには創作性が認められる必要がある。
一般に写真は被写体をありのまま静止画像として再現するという性格を有するが、主として撮影における独自の工夫(撮影上の工夫)によって、著作物たる創作的表現となりうる。これには、構図、撮影ポジション・カメラアングルの設定、シャッターチャンスの捕捉、露光時間、レンズ・フィルムの選択等の諸要素が含まれる(これに対し被写体の決定自体も含めるべきかについては後述)。他に現像上の工夫も創作性の要素となりうる。しかし、もともと装置に頼るものである上に、特に近時は自動露出や自動焦点等が普及しており、それらの利用によって、さらに機械的作用への依存度が高まる。同様に現像も自動化が進んでいる。(岡村久道『著作権法』82頁)
商品を被写体とする広告用写真に著作物性を認めたものとして、大阪地判平成7年3月28日知的裁集27巻1号210頁(商品カタログ事件)、知財高判平成18年3月29日判タ1234号295頁(スメルゲット事件)がある。
他方、複製権、もしくは翻案権侵害に該当するための同一性判断基準は次のとおりである。他の要件については、岡村久道・前掲書441頁を参照されたい。
最判平成13年6月28日民集55巻4号837頁(江差追分事件)は、原告作品のうち創作的表現と認められる部分のみを判断対象として、これと被告作品が共通する部分について、上記原告作品部分の創作的表現上の本質的特徴を被告作品から直接感得しうる程度に類似するか否かを基準に、同一性の有無を判断している。
写真著作物の複製・翻案について、①当該写真それ自体を有形的再製することに限られるのか、それとも、②同一被写体について撮影方法が類似の写真を別途撮影することや、③別の被写体で撮影方法が類似の写真を撮影すること、さらに、④写真以外の方法による再生も含まれるか、争いがある。(岡村久道・前掲書83頁)
本件の写真トレースは上記④の問題である。これに関し、写真に依拠した水彩画が翻案に該当するとした東京地判平成20年3月13日判タ1283号262頁(八坂神社祇園祭ポスター事件)がある。
本件は認定された事実によれば次の事案である。
- 原告は、アマチュア写真家であり、被告八坂神社から撮影許可を得て、祇園祭の風景写真である本件写真を撮影した。そして、原告は、本件写真を表紙とする「京乃七月」と題する写真集を被告サンケイデザインの製版印刷により発行した。
- このような経緯から、被告サンケイデザインの代表者である被告吉川は、本件写真のポジフィルムを有していたことを利用して、被告吉川は祇園祭の広告宣伝のために本件写真とこれに依拠して制作された本件水彩画を京都新聞に、被告サンケイデザインは被告八坂神社の発注により本件写真と本件水彩画を被告八坂神社のポスターに、被告白川書院は被告吉川から本件写真を借りて本件写真を月刊京都に、それぞれ掲載した。本件は、これらの行為が、本件写真の著作権及び著作者人格権を侵害するとされた事例である。
- なお、本件における争点は多岐にわたるものの、主たる争点は、本件水彩画の制作は、本件写真の翻案権を侵害するか否かである。
本判決は、次のとおり判示して、翻案に該当するとして侵害を認めた。
- 「本件写真の表現上の創作性がある部分とは、構図、シャッターチャンス、撮影ポジション・アングルの選択、撮影時刻、露光時間、レンズ及びフィルムの選択等において工夫したことにより表現された映像をいうと解すべきである(証拠略)。すなわち、お祭りの写真のように客観的に存在する建造物及び動きのある神輿、輿丁、見物人を被写体とする場合には、客観的に存在する被写体自体を著作物として特定の者に独占させる結果となることは相当ではないものの、撮影者がとらえた、お祭りのある一瞬の風景を、上記のような構図、撮影ポジション・アングルの選択、露光時間、レンズ及びフィルムの選択等を工夫したことにより効果的な映像として再現し、これにより撮影者の思想又は感情を創作的に表現したとみ得る場合は、その写真によって表現された映像における創作的表現を保護すべきである。」
- 「本件水彩画のこのような創作的表現によれば、本件水彩画においては、写真とは表現形式は異なるものの、本件写真の全体の構図とその構成において同一であり、また、本件写真において鮮明に写し出された部分、すなわち、祭りの象徴である神官及びこれを中心として正面左右に配置された4基の神輿が濃い画線と鮮明な色彩で強調して描き出されているのであって、これによれば、祇園祭における神官の差し上げの直前の厳粛な雰囲気を感得させるのに十分であり、この意味で、本件水彩画の創作的表現から本件写真の表現上の本質的特徴を直接感得することができる」。
- 「以上のとおり、本件水彩画に接する者は、その創作的表現から本件写真の表現上の本質的な特徴を直接感得することができると認められるから、本件水彩画は、本件写真を翻案したものというべきである。」
前掲江差追分事件判決は言語の著作物に関するものであった。この基準を、八坂神社祇園祭ポスター事件判決は、写真の著作物の創作性を考慮しつつ、あてはめたものといえよう。
その一方、上記③にも関連するが、撮影者自身が被写体を人為的に作り込んで撮影することも創作性の対象となるかという問題もあるが、これを肯定した東京高判平成13年6月21日判タ1087号247頁(みずみずしい西瓜事件)が存在することを指摘するにとどめ、詳細は別の機会に論じたい。
ちなみに、複製か翻案かは、新たな創作性の付加が認められるか(翻案)、否か(複製)によって区分される。
マンガであれば、翻案であると認められることが自然であろう。ただし、実物を確認していないので、正確な判断は留保する。
以上によれば、本件が翻案権侵害に該当する疑いがあるとされたことには、それなりの理由があったことになろう。
これに対し、ネット上では、商業目的の正確な模写は「著作物の複製」に該当する可能性が高い旨の弁護士コメントが掲載されるなど、混乱を深めているが、かかる見解が意味不明であることは、上記から明らかであろう。
参考
「集英社の料理マンガが連載中断 写真トレースはダメなのかで議論」
http://www.j-cast.com/2011/12/12116147.html?p=1
2011/12/20、22 追記
筆者は上記の判例理論が「正しい」と言っているわけではない。
しかし、指摘すべきは、第1に、表現の本質的特徴の直接感得性を基準とする限り、写真著作物についても、同一性判断基準としては、一般論として、そうした方向へ向かわざるを得ないという点である。特に前記判例の事案では、あまりにも似すぎていた。
第2に、それにもかかわらず、前述のとおり、写真に広く著作物性を認めることは、それが偶然に左右されるものであること(被写体たる人々の動きは原則的に偶然に委ねざるを得ない)、その一方では必然的な部分があること(撮影位置が警備の必要性や地理的条件等の関係で限定される、祭事における儀式の流れとクライマックスは事前におおむね決定されているなど)等の点を考えると、やや論理が荒いように感じる。
結局のところ、写真の著作物性、特に創作性が認められる範囲に、前記観点から適正な絞りを掛けることによって、バランスを保つことが必要であるように感じる。それによって、同時に同一性判断にも、自ずと絞りを掛けることができるはずである。
このように考えると、上記判例は、もう少し踏み込んだ詳細な判断を行うべきであったと言えよう。
| 固定リンク
「知的財産権」カテゴリの記事
- 著作者の権利の放棄(2014.05.06)
- 「別人作曲」問題の波紋-佐村河内守氏事件(2014.02.06)
- 舞台降板事件訴訟と人格権(2013.12.12)
- 新刊予告「インターネットの法律問題-理論と実務-」(2013.08.20)
- 東京地判平成25年7月19日(エンジン写真事件)の解説2 (完)(2013.08.09)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
とても魅力的な記事でした!!
また遊びに来ます!!
ありがとうございます。。
投稿: 履歴書の写真 | 2011年12月22日 (木) 08時43分