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2014年2月

2014年2月 6日 (木)

「別人作曲」問題の波紋-佐村河内守氏事件

佐村河内守氏の「別人作曲」問題が波紋を呼んでいる。
 
18年間にわたってゴーストライターを使い、作曲させていたというものだ。その人物に「イメージなど」を伝えていたという。
 
影響は大きい。コンサートは中止、「広島市民賞」は取り消しを検討、CDも出荷停止にすると報道されている。
 
その一方、テレビのワイドショーでは共同著作になる可能性があるという指摘もされているが、本当であろうか。
 
彼が伝えていた「イメージなど」の実物と言われるもの(交響曲1番に関する書類)が報道されているので、それに基づいて検討してみたい。
 
結論的には、「イメージなど」の内容を見る限り、タイムテーブル+抽象論であり、創作的表現の具体的指示と言えるか疑問である。
 
まず、著作者の判断基準について整理しておきたい。
 
実際に著作物の作成作業を事実行為として行った者が、一般的には具体的な創作的表現を行ったと認められるから、原則として著作者となる。
 
ただし、単にAがBの具体的指示に従って作業を行ったにすぎないような場合には、AではなくBが著作者となる。この場合には、具体的な創作的表現がBに帰属しているからである。ここに具体的指示とは具体的な創作的表現に対するものである必要があり、単に抽象的なアイデアの提供では足りない。
 
同一の著作物中に、Bの具体的指示による部分と、A独自の創作的表現が併存しているときは、AとBの共同著作物となる。
 
著作者の認定は、著作物の性格によって具体的な判断手法が異なりうる。複数の工程を経て作られる著作物の場合には、その表現が確定する段階について作った者が著作者となる。
 
楽曲の場合については、どのように考えられるべきか。
 
記念樹事件の東京高判平成14年9月6日は、「一般に、楽曲の要素として、旋律(メロディー)、リズム及び和声(ハーモニー)をもって3要素といわれることがあり、また、場合によってはこれに形式等の要素を付け加えて、これら全体が楽曲に欠くことのできない重要な要素とされている」とした上、「少なくとも旋律を有する通常の楽曲に関する限り、著作権法上の『編曲』の成否の判断において、相対的に重視されるべき要素として主要な地位を占めるのは、旋律である」としている。
 
ところが、本件の「イメージなど」の内容には旋律はないに等しい。それどころか、バッハやモーツアルトなどの作品名が記載されている。「ペンデレツキ」「ペンデNo2」という記載も登場する。おそらく宗教音楽の影響が強い現代音楽作曲家、クシシュトフ・ペンデレツキや、その交響曲2番「クリスマス」を指しているのだろう。それを要素として何パーセントか配合するようにとの指示のようだ。
 
模倣せよという指示だとは思わないが、自らの具体的な創作的表現を示したものでないことも事実だ。
 
こう考えてくると、やはり共同著作は無理筋のようだ。
 
補筆
 
共同著作、二次的著作物の成否という点について補筆しておきたい。
 
「共同して」創作すれば共同著作となり、これを欠けばならない。
 
「共同して」というためには、当事者間に、客観的にみて創作的寄与の同時性を要するだけでなく、主観的にみて共同製作の意思を要するというのが判例理論。
 
本件では創作的寄与の「同時性」どころか、「創作的寄与」それ自体があるか疑問が残る。自ら作曲作業もせず、具体的な創作的表現に関する具体的指示もしていると言えそうにないからである。
 
共同著作とならない場合でも二次的著作物(2条1項11号)となることがあるが、二次的著作物になるためには、新たな創作性を付加する必要がある。
 
本件では、それもなさそうである。
 
ちなみに、職務著作とならないのかというご質問もいただいた。
 
しかし、本件では、今回に至るまで、佐村河内守氏自身が、自ら独力で交響曲1番を創作した旨を主張し続けてきた。ゲーム製作企業やプロダクションなどの事業体のように、誰かを雇って作ってきたという話ではなかったはずだ。ゴーストライターなのだから、あまりにも当然のことではあるが。
 
それゆえ、著作権法15条にいう「使用者」や「その法人等の業務に従事する者」「職務上作成する」というような関係に該当するような話ではないと考えるのが、自然なのではないか。

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