カテゴリー「クラシック」の記事

2011年4月14日 (木)

ブル4を聴く

かつてネパールへ行ったことがある。
ヒマラヤを見に行った。

飛行機でカトマンズに近付くと、雲上に白く高い山の頂が、ひとつ見えた。
「あれがエベレストですよ。」
添乗員が、そっと教えてくれた。
蒼穹の空間に突き出す姿は、文字どおり「神々の座」のように見えた。

アンナプルナ山脈にほど近い、ポカラという田舎村で宿泊した。
冬なので、空気が余計にひんやりとしている。
ホテルと言っても、電気も来ておらず、自家発電も不十分なので、シャワーも冷たい。

夜は月明かりに照らされたマナスルを見て、翌朝、まだ仄暗いうちに起こされてホテル屋上へ。
やがて昇ってくる朝日にアンナプルナ山脈が照らされた。
息もできず、言葉にもできない神々しさ。
そこには木々すらなく、人間の住む俗世間から隔絶していた。
やがて山々をガスが覆い、後は一面、白濁した霧の中の世界となる。

ところで、東京へ向かう新幹線の中で、この日記を書いている。
どうして、そんなときにアンナプルナを思い出したのかって?

たまたまブルックナーの交響曲をヘッドホンで聴いていたからだ。
そうだ4番。
日ごろ疲れてささくれ立った神経を癒してくれる。
第1楽章冒頭の「原始霧」(弦のトレモロ)の中から登場するホルンのソロが、夢うつつで聴いていて、あのときのアンナプルナを思い起こさせたのだ。

この曲のCDは7種類ほどもっているが、いま聴いているのは、シモーネ・ヤングがハンブルク・フィルを振った第1稿版。
この人、見た目はともかく、織りなす音楽は繊細だ。きっとブルックナーに向いているのだろう。
それにしても最近のオケは上手い。
ブロムシュテット/ドレスデンと並んで、最近のお気に入りである。

さて車窓から、雪をまとった富士山が見えてきた。
今日はよく晴れている。
沿線には桜も見える。

ここは春の日本。
東京もは近い。

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2011年2月 6日 (日)

指揮者・山田一雄先生の想い出

私は京都大学へ通っていた当時、京都市左京区の岡崎に住んでいた。平安神宮は目と鼻の先であり、白川通りを渡って、しばらく歩けば、南禅寺界隈へと突き当たる。谷崎潤一郎先生が名作「細雪」を執筆した「前の潺湲亭」は、南禅寺下河原町にあった。今では現存しない代わりに、さらに北へ向かって哲学の道に上がれば、それを入った東山の際に、谷崎先生が眠る法然院がある。夏の猛暑日には、よく本を持って行って法然院の境内で涼んだものだ。

岡崎には京都市美術館や国立近代美術館などとともに、疎水に沿って京都会館がある。いわば観光地の真ん中に下宿していたわけだが、京都会館にあった大ホールが、当時における京都市交響楽団の定期演奏会場となっていた。
京都市交響楽団は日本で唯一の自治体直営オーケストラだったようだ。

山田一雄先生は、1972年から1976年まで、京響の第6代常任指揮者だった。ちなみに、第4代常任指揮者が外山雄三先生、第5代常任指揮者が渡邉暁雄先生だった。

退任後も、若杉弘先生らとともに、よく京響の定演を振っておられたと記憶している。

山田先生の映像作品として、残念なことに京響とのものは知らないのだが、晩年にN響を振ったモーツアルトのジュピターが残っている。重めの演奏が主流の時代だったが、テンポを速めにとって音を短めに刻む山田先生の指揮から紡ぎ出される音楽は、とても生き生きとして、躍動感にあふれていた。モーツアルトには、そうした躍動感が不可欠なのである。

そのためなのか、画面を見るとN響の弦は盛大にビブラートを掛けているのだが、音だけ聴いていてると全く気にならない。むしろ出てくる音は、現在主流のピリオド系と通じるかのような透明感のあるものだった。

山田先生は白髪で、せわしないというか、時折指揮台上で飛び跳ねたり、体全体を使った個性的な指揮だったが、そうした指揮振りが目立つ半面、その音作りは誠実そのものだった。コーダのフーガが天井へと吸い込まれるように、曲が終わった直後のお顔は、むしろ精根尽き果てたかのような表情だ。

あの指揮振りは、お世辞にも格好がよいものとはいえなくても、何とかオケに自分が望む音を伝えるための、先生なりの必死の動作だったのではないか。

日本人の中にも格好を付けた流麗な指揮者が増えてきた現在、山田先生が生きておられたら、そういう若い指揮者を見て、どのようにおっしゃるだろうか。

もうそろそろ、我が国で山田先生の音楽が見直されてもいいはずである。

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2011年1月30日 (日)

お気に入りのシベリウス交響曲7番

1926年生まれのジョン・コルトレーンが死んだのは1967年のこと。

セロニアス・モンクはコルトレーンよりも早い1917年生まれで、1940年代初めから活動を開始して、1982年に亡くなった。ちなみにマイルス・デイヴィスは 1926年生まれ。ビル・エヴァンスも1929年生まれだ。

これに対し、フィンランドの作曲家・シベリウスは19世紀の1865年生まれだが、1957年まで生きて91歳で亡くなっている。

とすれば、コルトレーンやモンクなどと同世代とはいえなくても、生きた時代が、ずいぶん重なっていることが分かる。

つまり、シベリウスが生存中の時代に、すでにジャズが隆盛期を迎えていた。1954年末には、レコーディング中にマイルスとモンクが有名な大喧嘩をして袂を分かっている。シベリウスが、そんなニュースに接したか、接したとしても興味を持ったかどうかは分からないが。

しかし、シベリウスの作品といえば、ラヴェルと違って、ジャズの影響は見られない。というのも、1925年に発表した交響詩「タピオラ」を最後に、作品が発表されていないからだ。これを後世の人々は「謎の沈黙」などと呼んでいる。真相は、第8交響曲を書き直し続けたが自分で気に入らなかったので、とうとう発表することなく人生を終えたということらしい。

それはともかく、シベリウスが初期に後期ロマン派風の作品を書いていることも、なんとなく、かなり前の世代の人であると、誤解される原因になっているのだろうか。

そのシベリウスだが、感覚的に自分と合うのか、少なからぬCDを購入して現在に至っている。

中でもお気に入りは、最後の交響曲である7番。

それにしても最初に聞いたものが強烈すぎた。約30年前に購入したムラヴィンスキー、レニングラード・フィルによる1965年のモスクワ音楽院大ホールでのライヴである。当時はCDではなくLPだった。

ムラヴィンスキー、レニングラード・フィルのコンビによる同一曲演奏には「1977年東京ライヴ」もあり、それも聴いてみたが、このコンビの持ち味である凝縮性は、「1965年モスクワライヴ」の方が、優れていると思う。但し、録音のせいかもしれないが。。。

この7番は、交響曲といっても単一楽章のもの。ゆったりとしているが厳粛な序章に続いて、トロンボーンによる第1主題が登場。まるでフィヨルドの絶壁に打ち寄せる波のように広がる。弦によって示される強く逆巻く寒風(ひとつ間違えると蠅が飛んでいるような音を出す指揮者が居るが)、厚く立ちこめる雲間から時折のぞく日差し。

ムラヴィンスキーの演奏をゲテモノと言うなかれ。本当に最後まで心地よい緊張感を持続する。この演奏に出会わなければ、おそらくこの曲の良さが分からなかったはずだ。

セルゲースタム/ヘルシンキフィル等のお国ものから、渡邊暁雄/ヘルシンキフィル、バーンスタイン/ウイーンフィル、マゼール/ウイーンフィル、ロジェストヴィンスキー/モスクワ国立、アンソニー・コリンズ/ロンドン交響楽団に至るまで聴いたが、どうもムラヴィンスキー「1965年モスクワライヴ」ほどしっくりいかない。

というわけで、この「1965年モスクワライヴ」は現在でも愛聴版である。

http://www.hmv.co.jp/product/detail/1913533
に含まれていて今でも入手できる。

シベリウス好きの方は、ぜひ一度聴いてみてほしい。

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2010年12月23日 (木)

CD時代の終焉?

別に格好を付けているわけではないが、私はクラシック音楽を良く聴いている。
毎週のように「のぞみ」に乗って東京・大阪間を往復しており、その間はヘッドホンを付けたままの状態である。

もちろん、携帯型の小型再生装置(具体的な商品名は伏せておこう)で音楽を聴いているわけである。これによって、同一車両内のどこかで耳障りに響く、行儀の悪い他の乗客の携帯着メロや、赤ん坊の泣き声などが、しばしの間、シャットダウンできる。

そのための音源として、大手CD販売サイトから、毎月のようにCDを大量購入して、せっせと小型再生装置に入れている。音楽CDを、いわゆる「大人買い」していることになる。

今日のような休日には、ヘッドホンをかぶった状態で、締め切りに追われて原稿を執筆している。

ところが、このところ、クラシックCDの世界に異変が起こっている。
どんどん単価が下がっているのだ。

例えば「ドイツ・グラモフォン111周年記念コレクターズ・エディション2」は、CD56枚で、10,332 円。
1枚あたりの単価に直せば185円となる。
http://www.hmv.co.jp/product/detail/3903405

そんなに安価であっても、超豪華なピアニスト、指揮者、オーケストラが並んでいる。

著作隣接権切れのモノラルも数枚だけ混じっているが、それ以外はれっきとしたステレオ。2008年1月録音のものさえ入っている。

ちなみに、クラシックという名称のとおり、作曲家の著作権は、そのほとんどが保護期間切れで消滅している。

同様に、CD60枚の「VIVARTE BOX」も11,990 円だから、こちらも1枚あたりの単価が200円を割っている。
http://www.hmv.co.jp/product/detail/3957045

さらに激安は、英ロイヤル・フィルの『グレート・クラシカル・マスターワークス』。
こちらはCD30枚組で3,080円だから、1枚あたりの単価は約100円。
http://www.hmv.co.jp/product/detail/3919872

これに含まれているのは、駅でワゴン販売していた低価格CDが多いが、1990年代後半の録音、つまりデジタルが中心である。
よく売れているようで、このたび、同一価格帯の「続編」まで発売となった。
http://www.hmv.co.jp/product/detail/3964119

まるで海賊版と間違えるような価格だが、すべて正規盤。すでに入手しているものについては、新譜で発売されたころに、2、3千円を出して購入した昔がうらましい。

ただし輸入盤であり、国内CDが高いことと好対照である。

それはともかく、この輸入盤の激安傾向、消費者として安売りは結構なことだが、この価格で製作・流通コストを回収できるのか。

それに、最近の若い人たちはダウンロード販売で購入することが主流であり、CD購入者は、私のような中年が中心のようだ。

こうして、いろいろ考えていると、所詮「人ごと」ながら、CD時代の終焉ではないかと、要らぬ心配をするのは、私だけなのだろうか。

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